2024年 4月           東北大学 名誉教授 舟山眞人                                                                

 

在職中は1万件近くの法医事例を担当してきました。

このうちの何割かは事件性のあるもので、更に明らかな殺人事件にもかかわらず未解決なものもいくつかみられます。

もちろんすべてが闇の中ではなく、ある程度の絞り込みはできているものの、決定的な証拠がつかめてないものも少なからずあるでしょう。

一方で、黒に近い灰色の事例もいくつかあり、ときどき思い出しては写真などを見直しておりました。

もっとも捜査機関もそのようなケースはこっそりと法医専門家に意見を聞いているようですが、それでもまだ動きはないのは、

やはり難しいのでしょう。ちなみに退職前数年間にも虐待が強く疑われる例も複数ありました。

全て乳児であり、外傷による死は明らかです。捜査中なので詳細はお話しできませんが、複数の養育者の中で、

しかも時間差の中での出来事です。物証は少なく、したがって供述主体にならざるを得ないことにも起因するのでしょう。

そして全国を考えるとこのような隠れたケースは多々あるものと思います。

しばらく前、厚労省が主体となり、チャイルドデスレビュー(CDR)として、全国の子どもの死亡を集計し、

子どもの死に対して効果的な予防策を導き出すことを目的に関連機関(医療、捜査、行政など)が情報提供する制度が提案されました。

ただ現時点で具体的な集計活動に関する報告は入手できません。

更に20235月に出されたCDR研究班の沼口敦氏の報告資料では、いろいろな問題点の一つとして

司法解剖例はCDRの対象外であることが挙げられています。

これでは何のための調査か、目的を考えると本末転倒ですが、私個人としては、“専門家”と称する人たちが集まれば集まるほど、

なんとなくこうなるだろうと予想はしていました。

私自身はもはや国の活動の中心になることはありませんが、本年度も「せんだいCHAP」を通じた虐待防止活動を

微力ながら続けてまいりますので、これからもよろしくお願いいたします。

 

 

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                                         2023年4月 東北大学名誉教授 舟山眞人

 

いつもはあいさつ抜きに小児虐待に関して長文の“所感”を書いてきたのですが(せんだいCHAPHPの代表投稿欄に過去5年分が掲載されていますのでお時間があればどうぞ)、3月末をもちまして東北大学を退職しましたので、私自身による総括は改めてて別な機会にお話ししたく、今回は「本当に」ごあいさつのみでご了承ください。

さて、せんだいCHAPも令和5年度で10年目を迎えることができました。とはいえ私個人は主に財政支援の役割で、活動の主体であるペアレントプログラムは事務局の田中和子様と舟山みどりに任せきりでした。ただその間に顧問の方々からは、貴重なアドバイス、温かい励ましなどいただき、感謝の念に堪えません。なお、4月からは私の後任に秋田大学教授である美作宗太郎先生をお迎えし、顧問も快くお引き受けいただきました。美作先生のご専門の一つが小児虐待の解析で、特に多くの生体鑑定も経験されており、先生の着任は虐待に関連する機関や団体にとって心強い限りでしょう。

もちろん私自身もせんだいCHAPを通じた虐待防止活動を微力ながら続けてまいりますので、これからもよろしくお願いいたします。

                 

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2022年4月

     思いもよらない所見が執刀医を惑わした話

                     

               子ども虐待予防センター・仙台代表

                    東北大学医学部法医学分野  教授 舟山眞人

 

 

いつものように通り一遍のご挨拶、ではなく、子どもの死に関する話題について。今回は思いもよらない所見に悩まされた話です。

 私が昔、北海道の大学にいたときの話です。6歳の女児が自宅で急変、救急病院に運ばれました。

体に多くのあざがあるのと、病院での死因は溺れとされましたが、母親の話に違和感がある、ということで解剖になりました。

病院の話では到着時には心肺停止で、レントゲンで肺に水が貯留しており、溺れのときにみられるような泡沫が鼻口から出ていたということです。

 母親の話は以下の通りです。

11時ころ娘と一緒に入浴し、お昼に自分が風呂から出る際に、娘は「まだ遊んでいるから」と言ったのでいつものように一人で遊ばせていた。浴槽の湯は子供の胸付近であった。自分は洗い物をしたり後かたづけをしてたが、2時間後に風呂場から手をばたつかせる様な音とともにうめき声が聞こえた。様子を見ると浴槽の端に顎をつけ、両手を出した状態で息苦しそうで、聞くと「足が滑って溺れた。水を飲んだ」と言って、お風呂から出ると言うので抱き上げ、茶の間に寝かせた。苦しそうに息をするのでうつ伏せにして背中をさすったがゲップをするだけで水は吐かなかった。服を着ると言うので、抱き上げていた体を降ろしたところ白目をむいて、鼻から白い泡が出てきた。反応もなくなり119番通報した。』

 死者は浴槽内で沈んでいたのではないことから、仮に水を吸引したにせよ、溺死とは違います。ただ当然のことながら、6歳の子を風呂の中に何時間も放置した行為に、捜査員も疑問を持ち、本当は浴槽に浮いていたのではないかと思ったようです。しかし母親によれば、この子は湯の中が大好きで、何時間も浴槽内にいるということでした。

 体をみたところ、発育の遅れがあり、身長は2歳半、体重は1歳後半のレベルでしたが、極端なるいそうはありませんでした。臀部や下腿などには斑点状の出血が散見されました。口をみたところ歯の付け根に出血が広がっておりましたが、唇には特段、外傷はみられませんでした。さて、下腿が腫れており、母親からは歩くと痛がっていた、という証言もありましたので片側の下腿を切って調べて見ると、脛骨という骨の周りに出血があり、骨膜が剥がれた状態になっていました。そこで、対側の下腿を調べると全く同じ状態です。では太ももはどうかと、可哀そうでしたが左右の大腿を切って調べると、ここも大腿骨が血で“浮いた”ような状態です。当時はCTもありませんでしたので、左右の上肢も全て切って調べると、上腕骨が血の中に浮いていましたが、前腕は正常でした。即ち、左右の上腕・大腿・下腿の骨が血で浮いていた(医学的には骨膜下出血)状態です。

 

 

 解剖直後の捜査員への説明は困りました。四肢の異状に関しては、これまで経験したことはなく、仮に外傷とすれば、打撲で生じたとは思えず、四肢をつかんで強く捻る、といったことが行われたかもしれない、と。ただ、なぜ前腕にないのかということと、左右対称性というのが気になりましたので、疾患の可能性もあり、暴行と決めつけないようお願いしました。また死因も溺れの可能性は確かにあるものの、母親がそこだけ嘘をつく理由がなく、例えば心不全のような場合でも心臓の機能低下から、肺に水が溜まり、口から泡沫がでてくることがあり、他の死亡原因があるかもしれないとして、暫く調べる時間を頂きました。捜査側からすれば、解剖結果から今後の捜査方針がほぼ決まるので、可能な限りその場で白黒の判断をしてもらいたいのは判っていますが、身体的暴行と結論付けるには危険な感じがしたためです。ちなみに浴槽内に23時間の放置も、この子の両下肢の異常では立っているだけでも痛みを覚えることから、浮力で体重負担が軽くなる湯の中は、痛みを和らげてくれる“快適な”環境だったのかもしれません。

 

 さてその後、小児科や小児病理の先生方に聞いてもはっきりとした答えがでず、ずるずると半年ほど経過したある日、当教室の助手の医師が、歯肉の出血はビタミンC不足のためではないかとつぶやきました。この子は両親が共稼ぎで、普段、アパートに閉じこもった日々を過ごしておりましたが(当時は保健婦の訪問などの制度はなかったのでしょう)、毎日の食生活情報は調書化していませんでした。確かにビタミンC不足によって起こる壊血病は歯肉出血はじめ皮膚の出血傾向が特徴的で、傷の回復の遅れ、感染しやすさなどがあり、大航海時代の船員に多発したことが知られています。しかし四肢骨に出血を伴うと習った記憶はありませんでした。

 実はビタミンC不足で生じる症状には小児特異的なものがあり、病名もバロウ病と別名がつけられています。乳幼児では出血傾向もさることながら、骨の形成異常が主要症状となり、関節部の腫れや運動時の痛みを伴います。ここまでが普通の教科書レベルで、更に新内科学体系という、いわば開業医向け大百科事典には「骨膜下に広範囲な出血が起こる」と書かれていました。ただ何処にも出血部位の対称性に関しての記載はありません。そこで時間の合間を縫って昔の厚い洋書を調べていたところ、東北大に所蔵してあった1962年刊行の栄養関連疾患に書かれた本に「骨膜下出血は大腿骨、脛骨、上腕骨にみられる」という記載がみつかり、ここでこの子の骨の異常がビタミンC不足によることか確定したのでした。ちなみに昔から脚気衝心という、心肥大に基づく急激な心不全による死亡が知られており、この子の死もビタミンC不足によるものとして矛盾はありません。発展途上国では今でも珍しくもありませんが、わが国ではビタミンC不足による死亡などまずみかけることはありませんから、さすがの小児科医でも思いつかなかったのでしょう。しかし長期に亘り、栄養の偏りのある食事をとり続けていると、成長障害に加えて、こういったことも起こり得るということで、ビタミンC欠乏症は昔の病気という固定観念は持ってはいけないことを学びました。

 ちなみに身体的暴行は否定されましたが、もちろん明らかなネグレクトのケースであることは間違いありません。ただ母親にメンタル的な問題があったようで、かつ養育上の知識が欠けているということもあり、当時、事件化にはなりませんでした。

 

 

 

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2021年4月

 

「逆さまによる死」

 

子ども虐待予防センター・仙台 代表

 

               東北大学医学部法医学分野 教授

 

                           舟山 真人

 

 

 

 

 

いつものように通り一遍のご挨拶、ではなく、子どもの死に関する話題について。今回は体位性窒息に関する話です。

 

 

 

 だいぶ前ですが、母親が早朝の仕事で3時間ほど外出するとき(他の家族は家にいたが寝ていたもの)、6カ月の乳児を大人用ベッドに寝かせましたが、帰宅したところダストボックス内に逆さまで死亡発見された、ということがありました。ところが最近、やはりベッドに寝かせられていた乳児がベッドと壁とにたまたま空いていたわずかな隙間に逆さまにはまり込み死亡したという事例を経験しました。寝かせた後、2時間ほどその部屋から出ていた間の出来事でした。この子には全く外傷はありません。即ち落ちた時に頭部や頚部に損傷を受けたわけではありません。どうも逆さまという姿勢に問題がありそうです。

 

 小児に限らず、死亡発見時の姿勢が死の原因である、という考え方はそう古いものではありません。そもそも私が法医に入局した40年前には、姿勢が死をもたらすという概念自体、わが国の多くの法医学者の頭の中にはありませんでした。逆さまによる死が初めてわが国で大きく注目されたのは、1993年に東北地方の中学校で起こった「マット死事件」かもしれません。これは中学生が巻かれて立て掛けられたマットの中に逆さまで死亡していた事件です。関連した被疑者が多かったことに加え、人権派と称する弁護団による加害者人権重視と言われた中で、刑事・民事いずれも複雑な経緯をたどりますが、死因自体は窒息と診断されています。ただその事件を担当した法医医師は、後日、「みな単にマットを巻いたことによる胸部圧迫の程度などを議論しているが、逆さまという体位それ自体にも注目すべきであり、欧米ではこのような場合の死を体位性窒息と呼んでいる」とある会で発現していたのを覚えています。

 

 「体位性窒息」はいくつか定義がありますが、窒息というからには呼吸障害がメインとなります。要は1)その姿勢を取り続けることで呼吸が出来にくくなり、結果、死につながるものであること、2)しかもその体位から自ら抜け出せないこと、3)よって発見時はその異常な体位のままであること、などが診断のポイントになります。ところで先ほどのマットの事例ですが、仮にマットの巻き方が比較的緩く、呼吸自体は可能であったらどうでしょうか?その場合でも逆さまの状態が長時間に及べば死に至るものと考えられます。それは実際に、逆さまになった姿勢だけでの死亡が報告されているからです。細かなメカニズムはわかっていませんが、お腹にある臓器の重みが横隔膜にかかりつづけるので、呼吸の際の横隔膜の動きが悪くなるとか、心臓より下位にある血液が逆さまのため心臓に多く流れ込み、容量負荷がかかる結果心不全になるとか、脳血量が増加し脳が腫れるとか。多分、こういったことが複合して死に至るのでしょう。

 

 ところで消費者庁の統計によれば、1996年に253人であった乳児の事故死が2016年には69人と激減、転倒・転落に至っては199618人に対し、2016年ではゼロとなっています。減少の原因には救命措置の進歩、製品改良や生活環境の改善などがあげられています。それでもなお、養育者が予想もつかない状況下でこういった死が起こることがあるのです。ご両親はつらいでしょうが、第2・第3の重大事故を防ぐためにも、それぞれの事故状況に関し、一般の市民にもっと情報の公開を行っていくべきでしょう。それには今厚労省が行っている“予防のための子どもの死亡検証(Child Death Review)”に、関係する全ての医療関係者が進んで協力すべきであると考えます。

 

 

 ところで先ほどの乳児死亡例ですが、最初に述べたダストボックス転落の子は、解剖によって心臓に重大な疾病がみつかりました。仮に事故がなくとも急死した可能性が高いものでした。その上で、ダストボックスへの転落はたまたま偶然なのか、あるいは死戦期の痙攣によって体動があったためなのか。仮に偶然としても、もともと弱っていた心臓ですので、軽い負荷でも死に至った可能性があり、少なくとも事故死よりは病死に近いものと言えることを警察を通じてご両親に伝えてもらうよう指示した記憶があります。

 

 

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2020年5月

 

 

「三度目は殺人」

 

                     子ども虐待予防センター仙台 代表 

 

                東北大学大学院医学系研究科法医学分野 教授 

 

                                舟山 眞人

 

 

 

いつものように通り一遍のご挨拶、ではなく、虐待に関する話題について。

 

今回は家庭内で連続発生した乳児突然死に関する話です。

 

 

 

 法医解剖では時に乳児突然死例を経験します。

 

最近は大半が自宅内ですが、まれに託児所内でも起こります。ただ県内では

 

ここ数年、託児所死亡の記憶はありません。もちろん全国ゼロというわけではなく、

 

まれに他県の捜査機関から意見を求められたり、寝具の検査依頼を受けたりします。

 

警察の依頼ですので、業務上過失致死などの刑事上の責任が問題となるわけですが、

 

使用した寝具が死に繋がる危険なものなのか、どれくらい目を離せば問題なのか、

 

といったことを聞かれますが、“医学的に”それらを証明するのは困難です。

 

そもそも乳児突然死の大きな問題は未だその原因が不明であるということです。

 

もちろん、統計学的な危険因子は判明しており、代表的なものが、

 

1)うつ伏せ寝、2)喫煙、3)人工ミルクです。ただあくまでもリスクですので、

 

仰向けで寝かせても100%突然死が防げるというわけではありませんし、

 

うつ伏せ寝でも多くの子が死ぬわけでもありません。

 

 一方、家庭内の場合は当然ながらネグレクトを含めた虐待の有無が問題となります。

 

さて今回の話題である家庭内“連続”乳児突然死に関して。

 

50年以上も前になりますが、米国で1965年から1971年の間にWaneta Hoytという

シングルマザーから生まれた子供5人が次々と死亡したという事例がありました。

 

うち最後の2名が生前、医療センターで呼吸モニタ検査を行ったところ、

 

無呼吸が観察されたそうです。そして2名とも退院後すぐに死亡しました。

 

そこで睡眠時無呼吸発作が乳幼児突然死症候群(SIDS)に関与しているとして、

 

米国小児科学会誌に掲載されました(Pediatrics 1972;50:646)。

 

この症例は家族性SIDSとして、当時、かなり話題になったそうです。(Science 1995;268:494)。

 

 しかし、その約20年後の1994年、Waneta Hoyt5人の子の殺害容疑で逮捕され、陪審員裁判により、

1人につき15年、計75年間の有期刑が宣告されました。

 

なお裁判では自白を覆し、その正当性で争われたようです。裁判では

 

論文ではモニタの無呼吸警報を15秒で設定していたが、これは正常でも起こり得ること、

5人の子の死亡時の年は生後48日から2歳までで、明らかに

2歳はSIDSからは外れていることなども争点になったようですが、

1995の時点ではこのケースを含め家族性SIDSが存在するか否かは

未だ結論がでていないことがScienceの記事に書かれています。

 

ちなみに5人中3例が解剖されているようですが、どうして殺害がわからなかったかのでしょうか?

実はこの子らに限らず、大人の手掌や柔らかい枕などで顔面が圧迫された場合、

鼻口に擦過傷などの圧迫の痕跡がなければ、解剖所見上、SIDSと全く区別がつかないからです。

私の経験でも、乳児死亡でそれが殺人であるとの根拠は被疑者の自白だけ、

 

というケースもまれではありません。

 

  さて、その後も今に至るまで家族性SIDSという概念が果たして存在するのかどうかの結論は出ていません。

もちろん同胞の死亡はあります。しかし少なくともSIDS遺伝子などというものはないこと

、二度目・三度目にSIDSが起こる頻度はその国や地域でのSIDS発生頻度と同じであること、

仮にその頻度が高いのであればその家庭の環境因子の影響が大きいためであろう、と考える研究者が多いようです。

 

そしてもう一つの理由が連続殺人であるということ。

 

 ちなみに米国の有名な監察医であるDiMaioはその著書Forensic pathologyで、

あくまでも著者自身の意見とした上で、最初の児がSIDSと診断された家庭で、

二度目の乳児突然死が生じた場合、それはありそうもないことではあるが疑わしきは罰せず

ということで死因は「不詳」の診断を、そして三度目は殺人であると述べています。

 

 幸いにも私が執刀した症例では連続した家庭内事例はないのですが、

昔、こちらに赴任して間もなく、教室員の解剖症例のチェックの際に、

過去にすでに同胞が死亡していたという症例がありました。

たまたまなにかの出張で解剖には直接立ち会えず、写真をみただけですが、

確かるいそうと軽微な損傷があったと記憶しています。

 

更に既に死亡していた同胞は解剖もされていなかったかと。

 

とりあえず死因を含め不詳の死にしておくことをアドバイスしましたが、

 

警察からはその後、なにも連絡はなかったようです。

 

幸いなことに“三度目の死”はありませんでした。  

 

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2019年5月

 

 

 

 

乳幼児ゆさぶられ症候群(SBS)一考

 

           子ども虐待予防センター仙台 代表 

 

          東北大学大学院医学系研究科法医学分野 教授 

 

 舟山 眞人

 

 

 

いつものように通り一遍のご挨拶、ではなく、虐待に関する最近の話題について。今回は乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)です。

 

 SBS1972年に米国の放射線医であるJ Caffeyが児を揺さぶることによって網膜出血、硬膜下血腫、くも膜下出血が生じることがある、と述べた論文に使用された用語です(実際はその前の年にGuthkelchという医師がむち打ち損傷と硬膜下血腫との関連論文を報告しており、こちらが最初の人と紹介されている場合もあります)。ちなみにCaffey1946年に成因不明の硬膜下血腫を合併した長管骨骨折を示す小児の6例を発表しましたが、これが小児虐待の最初の臨床症例であると言われています)。乳幼児は首の筋肉の発達が弱く、一方で重い頭のために、強く揺らすことで頭部が前後に大きく可動し、上記の症状が生じる、というものです。わが国でも虐待症の中に、SBSが原因であるとの報道が目に付くようになりました。

 

私も過去にこのSBS関連で注意を受けたことがあります。学会でオーストラリアに行った際、どこかの動物園で、お金を出せばコアラを抱いてワンショットということで、生きた本体を受け取りました。そのときあやそうと数回軽く上下したところ、管理人のおばさんに「No shaking」と叫ばれました。激しく左右に振った分けではありませんが、子供を揺さぶらないこと、は豪州市民に浸透していたようです。

 

 とはいえ、私の乳幼児剖検例の中で、いままでSBSが原因であると判断したものはありません。網膜出血の確認が難しいということもありますが(角膜は混濁し、瞳孔から網膜は覗けないため、出血の精査は眼球摘出を行う必要がありますが、司法解剖とはいえさすがにそこまでは踏み切れませんでした)、もう一つは頭部を振っただけで死に至るかとなると疑問があったからです。

 

 もちろんその疑問には根拠もあり、米国の有名な監察医であるDiMaioら、がその著書で、1)網膜出血自体は胸部圧迫などでも起こりえること、2)彼らの多数の経験例において全例、頭蓋内出血は頭部への直接外力であったこと、3)剖検では明らかな直接外力の痕跡が、臨床診断では見つからないこともあること、4)実験的にも硬膜下血腫を引き起こすような頭部の加速度・減速度運動量は、揺さぶりだけではエネルギー量として小さいこと、などからSBSによる死亡の信憑性を述べています。

 

 もう30年以上も前ですが、乳児の剖検例で、頭部を含め全身には損傷がないにもかかわらず、硬膜下血腫による死亡を経験しました。もちろん病的なものもありません。これだけですと真っ先にSBSを疑えということになるかもしれません。しかし真実は父親が布団の上に何度か放り投げたということでした。つまり頭部には直接位置エネルギーと運動エネルギーがかかっていたのですが、当たったところが布団なので頭皮・頭皮下・頭蓋には明らかな出血がないのも説明ができます。

 

 現在、このSBSという概念が“揺れて”います。これまでの考え方であればSBSの3徴候、すなわち1)硬膜下血腫、2)網膜出血、3)脳症(び漫性脳損傷や脳浮腫)、があれば、それだけでSBSによる虐待死である、というものでした。ところが最近言われている反論として、先述のDiMaioが述べた様に網膜出血や「薄い」硬膜下血腫は単に脳の低酸素で生じ得ることがあり、この三徴候だけをSBSの根拠にしては行けないという考えです。更にこの問題を混乱させているのが、多くの論文では血腫の成因に関する議論が主で、では実際の死因はなんであるか、がはっきり記述していないことです。3徴候の中で、網膜出血自体は致死的なものではありません。また脳浮腫といっても、小児の脳は柔らかく、形態学的に証明は困難です。その上で「薄い」硬膜下血腫があったとしても、それでは死因とはならず、従って虐待とに因果関係を安易に結ぶことはできないと私は思うのですが、どうも一部の捜査関係者はこのような場合でも養育者を逮捕し起訴しているようですし、当然、法医医師を含めた医療関係者もそれを認めているのでしょう。

 

一方で、厚い硬膜下血腫が剖検で確認された場合、死因診断はこの異変でよいとして、では果たしてSBSのせいなのか?硬膜下血腫は柔道の稚拙な受け身の際に生じるように、頭部が強い回転/加速・減速運動を行った場合に生じるといわれています。先ほど述べた様に柔らかいものの上に児を放り投げたような場合でも生じますので、必ずしも激しく揺らした結果とは限りません。

 

問題はお座りで自ら後ろに倒れた場合です。確かに脳の萎縮があるような高齢者や大酒家などでは転倒で致死的硬膜下血を引き起こすことは希ではありません。しかしそういった大人でも座った状態で布団に倒れて致死的な出血を生じるかとなると、考えにくいと言わざるを得ません。しかし絶対にないともいえません。

 

 結局のところ、頭部をどの程度に揺さぶることで致死的な結果になるとの統一見解は医療関係者の間ではでていません。巷ではSBSと死との関係を含め、SBS診断に疑問視する動きがあります。医療関係者以外の人たちも巻き込んだ活動においては、SBSに否定的な論文を引用します。もっともこの傾向は医療関係者でも変わりは無く、SBSの重要性を認める医師達は肯定的な論文を引用します。ということで、このSBS論争に決着がつくのは当面、困難であろうと思います。一法医学者としては、この論争に深入りせず、ただ淡々と所見を述べるだけですが。

 

 

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                                  了

 

 

2018年5月

 

代理人によるミュンヒハウゼン症候群

 

代表   舟山 眞人

 

最近、心を悩ます事例がありました。その事例に関連し、過去の症例のことを思い出いながら書いていくうちに、少し字数が多くなりました。ご勘弁ください。

 

過去の症例とはもう20年以上も前のことです。もっとも、その当時、後述します「病態」の知識はなく、ただただ極めて不可解なものと感じておりまた。

 

その症例は立件されていませんので、詳細は述べられませんが、死者は3ヶ月半の乳児です。母親がミルクを飲ませたあと、上の子と一緒に寝、5時間に様子をみると急変していたということです。頬や頭を叩いても反応がないことから救急車を呼びました(顔面にはそれによると申し立てた打撲痕がありました)。病院到着時は心肺停止で蘇生することなく死亡、ただレントゲンで頭に骨折があったことから警察が呼ばれ、解剖となりました。解剖では頭の損傷が死因と判断されましたが、お母さんが言うには上の子がしばしばこの子に”暴行”を加えており、今回もそうではないか、ということでした。

 

この子の死亡前の経過ですが、生後1カ月以降は殆ど病院に入院しています。生後1カ月健診時にお母さんが夜泣きを訴えていましたが、特に異常なしとされています。しかしその2日後に呼吸器感染症で1カ月半入院。退院後1週間で異常呼吸の訴えで1カ月入院。いずれも原因は不明でした。そして死亡は退院後2日目です。解剖では時間の経過した肋骨骨折や古い頭蓋内の出血がありました。しかし、繰り返される上の子の”暴行”ということで、もちろんお母さんに対し強く疑いを持ちましたが、病院からの情報では、お母さんは頻回に病院に来て、子供の心配をしていたということで、その時は上の子は当然、罪に問えないし、しかし不思議なこともあるものだ、という認識でした。

 

 

 

その後、暫くして代理人によるミュンヒハウゼン症候群というものの存在を知りました。ミュンヒハウゼンは実在した人の名で、「ほら吹き男爵の冒険」で一昔の読書好きの子供たちは知っていたかと思います。ミュンヒハウゼン(1720-1790) はドイツ南ハノーバに隠居後、お喋り上手の老男爵として有名となりました。彼の話は、後のR.E.Raspeによる冒険ファンタジーの元になりました。興味のある方は「バロン」という映画(「月の王」にロビンウイリアムスが演じています)をご覧下さい。

 

さて、この疾患を最初に記載した医師は1951年に世界的な有名な医学雑誌Lancet上で彼の名前を借用しました。その記載では「これはほとんどの医師が経験している、どこでもみられるような疾患である。しかしそれについての記述はほとんどない。かのミュンヒハウゼン男爵のように, 常に世界を旅しているようであり、その話はドラマチックで信じがたい・・・」と。

 

これを現代の精神医学では「虚偽性障害」と呼ぶそうです。これをまとめますと

 

1)患者は意図的に身体的障害、あるいは精神的障害の徴候を引き起こし、現病歴や症状を事実とは異なって伝える。

 

 

 

2)目的は唯一、患者の役割を演じること。即ち、入院加療そのものが、第一の目的となり、生活手段となることもある。

 

ということで、詐病とは全く異なることにご注意ください。すなわち、行動の外的動機

 

(経済的利得、法的責任回避など)が欠如している、と言う点です。

 

問題なのは虚偽性障害の患者が、対象を自らではなく、その代役を子供に課すことがあることです。これが代理人による症候群と呼ばれるものです。これに最初に報告したのがイギリスの小児科医 R.Meadowです。彼は4つのポイントを挙げています。

1.両親のどちらか一人あるいはある養育者によって作り上げられた偽りの疾患である。

2.その子供は医療機関にかかることになる。通常は継続的であり、しばしば複数の機関に受診する。

3.加害者はその病気の成因を知らないと言い張る。

4.急性の兆候・症状は加害者が子供から離れたときには生じない。

 

現在ではもっと詳細なクライテリアがありますが、基本的にはこれで十分かと思います。これが危険なのは、養育者がその子の死を意図しなくても、結果的に死が訪れるような作為を子供に行ってしまうことです。

 

私が上述した事例を経験した時代、年配の法医学者でも同疾患の存在を知らない方が多かったではないのでしょうか。マスコミ報道では1998年に薬物や多量の水を母親から飲ませられた子どものケースを報告していますが、これがわが国での最初の報道かどうかは不明です。しかし、過去においても、これによる死亡や未遂例は多々あったのではないかと思います。そして今でも、この範疇にはいると思われる報道が散見されます。

 

お分かりの通り、最初に紹介した事例はまさに代理人によるミュンヒハウゼン症候群でしょう。もし当時、その知識があれば、上の子はどうであったか、次の子を守るためにはどうすべきか、いずれにせよ児相に相談することになったでしょう。とはいえその当時の児相もこの「病態」を知っていたかどうか。そして正しい対応が出来たかどうか。

 

最近、児相から相談を受けた事例がありました。その子には説明困難な損傷がみられましたが、それ以外は家庭的に全く問題がないという話でした。これ以上、親子を離すわけにもいかず、という児相の要求の中で、稀な仮説ではあるが、その損傷が偶然起こり得ることもあろう、という判断を児相にせざるをえませんでした。可能性として代理人によるミュンヒハウゼン症候群はあげられるものの、結局のところ、それ以上の確証も得られなかった、という事例を経験しましたので、今回話題にした次第です。

 

なお、最後に。

 

「代理人によるミュンヒハウゼン症候群」の多くは自らの子を対象にしたものです。ただこの「病態」は医療の現場でも起こり得ること知られています。これまでの論文などからの統計では、保護者の立場の多くは「看護師」、子どもの立場は「患者」が一般的です。

 乳幼児ゆさぶられ症候群(SBS)一考

乳幼児ゆさぶられ症候群(SBS)一考
子ども虐待予防センター仙台 代表
東北大学大学院医学系研究科法医学分野 教授
舟山 眞人

いつものように通り一遍のご挨拶、ではなく、虐待に関する最近の話題について。今回は乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)です。
SBSは1972年に米国の放射線医であるJ Caffeyが児を揺さぶることによって網膜出血、硬膜下血腫、くも膜下出血が生じることがある、と述べた論文に使用された用語です(実際はその前の年にGuthkelchという医師がむち打ち損傷と硬膜下血腫との関連論文を報告しており、こちらが最初の人と紹介されている場合もあります)。ちなみにCaffeyは1946年に成因不明の硬膜下血腫を合併した長管骨骨折を示す小児の6例を発表しましたが、これが小児虐待の最初の臨床症例であると言われています)。乳幼児は首の筋肉の発達が弱く、一方で重い頭のために、強く揺らすことで頭部が前後に大きく可動し、上記の症状が生じる、というものです。わが国でも虐待症の中に、SBSが原因であるとの報道が目に付くようになりました。
私も過去にこのSBS関連で注意を受けたことがあります。学会でオーストラリアに行った際、どこかの動物園で、お金を出せばコアラを抱いてワンショットということで、生きた本体を受け取りました。そのときあやそうと数回軽く上下したところ、管理人のおばさんに「No shaking」と叫ばれました。激しく左右に振った分けではありませんが、子供を揺さぶらないこと、は豪州市民に浸透していたようです。
とはいえ、私の乳幼児剖検例の中で、いままでSBSが原因であると判断したものはありません。網膜出血の確認が難しいということもありますが(角膜は混濁し、瞳孔から網膜は覗けないため、出血の精査は眼球摘出を行う必要がありますが、司法解剖とはいえさすがにそこまでは踏み切れませんでした)、もう一つは頭部を振っただけで死に至るかとなると疑問があったからです。
もちろんその疑問には根拠もあり、米国の有名な監察医であるDiMaioら、がその著書で、1)網膜出血自体は胸部圧迫などでも起こりえること、2)彼らの多数の経験例において全例、頭蓋内出血は頭部への直接外力であったこと、3)剖検では明らかな直接外力の痕跡が、臨床診断では見つからないこともあること、4)実験的にも硬膜下血腫を引き起こすような頭部の加速度・減速度運動量は、揺さぶりだけではエネルギー量として小さいこと、などからSBSによる死亡の信憑性を述べています。
もう30年以上も前ですが、乳児の剖検例で、頭部を含め全身には損傷がないにもかかわらず、硬膜下血腫による死亡を経験しました。もちろん病的なものもありません。これだけですと真っ先にSBSを疑へということになるかもしれません。しかし真実は父親が布団の上に何度か放り投げたということでした。つまり頭部には直接位置エネルギーと運動エネルギーがかかっていたのですが、当たったところが布団なので頭皮・頭皮下・頭蓋には明らかな出血がないのも説明ができます。
現在、このSBSという概念が“揺れて”います。これまでの考え方であればSBSの3徴候、すなわち1)硬膜下血腫、2)網膜出血、3)脳症(び漫性脳損傷や脳浮腫)、があれば、それだけでSBSによる虐待死である、というものでした。ところが最近言われている反論として、先述のDiMaioが述べた様に網膜出血や「薄い」硬膜下血腫は単に脳の低酸素で生じ得ることがあり、この三徴候だけをSBSの根拠にしては行けないという考えです。更にこの問題を混乱させているのが、多くの論文では血腫の成因に関する議論が主で、では実際の死因はなんであるか、がはっきり記述していないことです。3徴候の中で、網膜出血自体は致死的なものではありません。また脳浮腫といっても、小児の脳は柔らかく、形態学的に証明は困難です。その上で「薄い」硬膜下血腫があったとしても、それでは死因とはならず、従って虐待とに因果関係を安易に結ぶことはできないと私は思うのですが、どうも一部の捜査関係者はこのような場合でも養育者を逮捕し起訴しているようですし、当然、法医医師を含めた医療関係者もそれを認めているのでしょう。
一方で、厚い硬膜下血腫が剖検で確認された場合、死因診断はこの異変でよいとして、では果たしてSBSのせいなのか?硬膜下血腫は柔道の稚拙な受け身の際に生じるように、頭部が強い回転/加速・減速運動を行った場合に生じるといわれています。先ほど述べた様に柔らかいものの上に児を放り投げたような場合でも生じますので、必ずしも激しく揺らした結果とは限りません。
問題はお座りで自ら後ろに倒れた場合です。確かに脳の萎縮があるような高齢者や大酒家などでは転倒で致死的硬膜下血を引き起こすことは希ではありません。しかしそういった大人でも座った状態で布団に倒れて致死的な出血を生じるかとなると、考えにくいと言わざるを得ません。しかし絶対にないともいえません。
結局のところ、頭部をどの程度に揺さぶることで致死的な結果になるとの統一見解は医療関係者の間ではでていません。巷ではSBSと死との関係を含め、SBS診断に疑問視する動きがあります。医療関係者以外の人たちも巻き込んだ活動においては、SBSに否定的な論文を引用します。もっともこの傾向は医療関係者でも変わりは無く、SBSの重要性を認める医師達は肯定的な論文を引用します。ということで、このSBS論争に決着がつくのは当面、困難であろうと思います。一法医学者としては、この論争に深入りせず、ただ淡々と所見を述べるだけですが。