2020年5月

 

 

「三度目は殺人」

 

                     子ども虐待予防センター仙台 代表 

 

                東北大学大学院医学系研究科法医学分野 教授 

 

                                舟山 眞人

 

 

 

いつものように通り一遍のご挨拶、ではなく、虐待に関する話題について。

 

今回は家庭内で連続発生した乳児突然死に関する話です。

 

 

 

 法医解剖では時に乳児突然死例を経験します。

 

最近は大半が自宅内ですが、まれに託児所内でも起こります。ただ県内では

 

ここ数年、託児所死亡の記憶はありません。もちろん全国ゼロというわけではなく、

 

まれに他県の捜査機関から意見を求められたり、寝具の検査依頼を受けたりします。

 

警察の依頼ですので、業務上過失致死などの刑事上の責任が問題となるわけですが、

 

使用した寝具が死に繋がる危険なものなのか、どれくらい目を離せば問題なのか、

 

といったことを聞かれますが、“医学的に”それらを証明するのは困難です。

 

そもそも乳児突然死の大きな問題は未だその原因が不明であるということです。

 

もちろん、統計学的な危険因子は判明しており、代表的なものが、

 

1)うつ伏せ寝、2)喫煙、3)人工ミルクです。ただあくまでもリスクですので、

 

仰向けで寝かせても100%突然死が防げるというわけではありませんし、

 

うつ伏せ寝でも多くの子が死ぬわけでもありません。

 

 一方、家庭内の場合は当然ながらネグレクトを含めた虐待の有無が問題となります。

 

さて今回の話題である家庭内“連続”乳児突然死に関して。

 

50年以上も前になりますが、米国で1965年から1971年の間にWaneta Hoytというシングルマザーから生まれた子供5人が次々と死亡したという事例がありました。

 

うち最後の2名が生前、医療センターで呼吸モニタ検査を行ったところ、

 

無呼吸が観察されたそうです。そして2名とも退院後すぐに死亡しました。

 

そこで睡眠時無呼吸発作が乳幼児突然死症候群(SIDS)に関与しているとして、

 

米国小児科学会誌に掲載されました(Pediatrics 1972;50:646)。

 

この症例は家族性SIDSとして、当時、かなり話題になったそうです。(Science 1995;268:494)。

 

 しかし、その約20年後の1994年、Waneta Hoyt5人の子の殺害容疑で逮捕され、陪審員裁判により、1人につき15年、計75年間の有期刑が宣告されました。

 

なお裁判では自白を覆し、その正当性で争われたようです。裁判では

 

論文ではモニタの無呼吸警報を15秒で設定していたが、これは正常でも起こり得ること、5人の子の死亡時の年は生後48日から2歳までで、明らかに2歳はSIDSからは外れていることなども争点になったようですが、1995の時点ではこのケースを含め家族性SIDSが存在するか否かは未だ結論がでていないことがScienceの記事に書かれています。

 

ちなみに5人中3例が解剖されているようですが、どうして殺害がわからなかったかのでしょうか?実はこの子らに限らず、大人の手掌や柔らかい枕などで顔面が圧迫された場合、鼻口に擦過傷などの圧迫の痕跡がなければ、解剖所見上、SIDSと全く区別がつかないからです。私の経験でも、乳児死亡でそれが殺人であるとの根拠は被疑者の自白だけ、

 

というケースもまれではありません。

 

  さて、その後も今に至るまで家族性SIDSという概念が果たして存在するのかどうかの結論は出ていません。もちろん同胞の死亡はあります。しかし少なくともSIDS遺伝子などというものはないこと、二度目・三度目にSIDSが起こる頻度はその国や地域でのSIDS発生頻度と同じであること、仮にその頻度が高いのであればその家庭の環境因子の影響が大きいためであろう、と考える研究者が多いようです。

 

そしてもう一つの理由が連続殺人であるということ。

 

 ちなみに米国の有名な監察医であるDiMaioはその著書Forensic pathologyで、あくまでも著者自身の意見とした上で、最初の児がSIDSと診断された家庭で、二度目の乳児突然死が生じた場合、それはありそうもないことではあるが疑わしきは罰せずということで死因は「不詳」の診断を、そして三度目は殺人であると述べています。

 

 幸いにも私が執刀した症例では連続した家庭内事例はないのですが、昔、こちらに赴任して間もなく、教室員の解剖症例のチェックの際に、過去にすでに同胞が死亡していたという症例がありました。たまたまなにかの出張で解剖には直接立ち会えず、写真をみただけですが、確かるいそうと軽微な損傷があったと記憶しています。

 

更に既に死亡していた同胞は解剖もされていなかったかと。

 

とりあえず死因を含め不詳の死にしておくことをアドバイスしましたが、

 

警察からはその後、なにも連絡はなかったようです。

 

幸いなことに“三度目の死”はありませんでした。  

 

                                      了

 

 

2019年5月

 

 

 

 

乳幼児ゆさぶられ症候群(SBS)一考

 

           子ども虐待予防センター仙台 代表 

 

          東北大学大学院医学系研究科法医学分野 教授 

 

 舟山 眞人

 

 

 

いつものように通り一遍のご挨拶、ではなく、虐待に関する最近の話題について。今回は乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)です。

 

 SBS1972年に米国の放射線医であるJ Caffeyが児を揺さぶることによって網膜出血、硬膜下血腫、くも膜下出血が生じることがある、と述べた論文に使用された用語です(実際はその前の年にGuthkelchという医師がむち打ち損傷と硬膜下血腫との関連論文を報告しており、こちらが最初の人と紹介されている場合もあります)。ちなみにCaffey1946年に成因不明の硬膜下血腫を合併した長管骨骨折を示す小児の6例を発表しましたが、これが小児虐待の最初の臨床症例であると言われています)。乳幼児は首の筋肉の発達が弱く、一方で重い頭のために、強く揺らすことで頭部が前後に大きく可動し、上記の症状が生じる、というものです。わが国でも虐待症の中に、SBSが原因であるとの報道が目に付くようになりました。

 

私も過去にこのSBS関連で注意を受けたことがあります。学会でオーストラリアに行った際、どこかの動物園で、お金を出せばコアラを抱いてワンショットということで、生きた本体を受け取りました。そのときあやそうと数回軽く上下したところ、管理人のおばさんに「No shaking」と叫ばれました。激しく左右に振った分けではありませんが、子供を揺さぶらないこと、は豪州市民に浸透していたようです。

 

 とはいえ、私の乳幼児剖検例の中で、いままでSBSが原因であると判断したものはありません。網膜出血の確認が難しいということもありますが(角膜は混濁し、瞳孔から網膜は覗けないため、出血の精査は眼球摘出を行う必要がありますが、司法解剖とはいえさすがにそこまでは踏み切れませんでした)、もう一つは頭部を振っただけで死に至るかとなると疑問があったからです。

 

 もちろんその疑問には根拠もあり、米国の有名な監察医であるDiMaioら、がその著書で、1)網膜出血自体は胸部圧迫などでも起こりえること、2)彼らの多数の経験例において全例、頭蓋内出血は頭部への直接外力であったこと、3)剖検では明らかな直接外力の痕跡が、臨床診断では見つからないこともあること、4)実験的にも硬膜下血腫を引き起こすような頭部の加速度・減速度運動量は、揺さぶりだけではエネルギー量として小さいこと、などからSBSによる死亡の信憑性を述べています。

 

 もう30年以上も前ですが、乳児の剖検例で、頭部を含め全身には損傷がないにもかかわらず、硬膜下血腫による死亡を経験しました。もちろん病的なものもありません。これだけですと真っ先にSBSを疑えということになるかもしれません。しかし真実は父親が布団の上に何度か放り投げたということでした。つまり頭部には直接位置エネルギーと運動エネルギーがかかっていたのですが、当たったところが布団なので頭皮・頭皮下・頭蓋には明らかな出血がないのも説明ができます。

 

 現在、このSBSという概念が“揺れて”います。これまでの考え方であればSBSの3徴候、すなわち1)硬膜下血腫、2)網膜出血、3)脳症(び漫性脳損傷や脳浮腫)、があれば、それだけでSBSによる虐待死である、というものでした。ところが最近言われている反論として、先述のDiMaioが述べた様に網膜出血や「薄い」硬膜下血腫は単に脳の低酸素で生じ得ることがあり、この三徴候だけをSBSの根拠にしては行けないという考えです。更にこの問題を混乱させているのが、多くの論文では血腫の成因に関する議論が主で、では実際の死因はなんであるか、がはっきり記述していないことです。3徴候の中で、網膜出血自体は致死的なものではありません。また脳浮腫といっても、小児の脳は柔らかく、形態学的に証明は困難です。その上で「薄い」硬膜下血腫があったとしても、それでは死因とはならず、従って虐待とに因果関係を安易に結ぶことはできないと私は思うのですが、どうも一部の捜査関係者はこのような場合でも養育者を逮捕し起訴しているようですし、当然、法医医師を含めた医療関係者もそれを認めているのでしょう。

 

一方で、厚い硬膜下血腫が剖検で確認された場合、死因診断はこの異変でよいとして、では果たしてSBSのせいなのか?硬膜下血腫は柔道の稚拙な受け身の際に生じるように、頭部が強い回転/加速・減速運動を行った場合に生じるといわれています。先ほど述べた様に柔らかいものの上に児を放り投げたような場合でも生じますので、必ずしも激しく揺らした結果とは限りません。

 

問題はお座りで自ら後ろに倒れた場合です。確かに脳の萎縮があるような高齢者や大酒家などでは転倒で致死的硬膜下血を引き起こすことは希ではありません。しかしそういった大人でも座った状態で布団に倒れて致死的な出血を生じるかとなると、考えにくいと言わざるを得ません。しかし絶対にないともいえません。

 

 結局のところ、頭部をどの程度に揺さぶることで致死的な結果になるとの統一見解は医療関係者の間ではでていません。巷ではSBSと死との関係を含め、SBS診断に疑問視する動きがあります。医療関係者以外の人たちも巻き込んだ活動においては、SBSに否定的な論文を引用します。もっともこの傾向は医療関係者でも変わりは無く、SBSの重要性を認める医師達は肯定的な論文を引用します。ということで、このSBS論争に決着がつくのは当面、困難であろうと思います。一法医学者としては、この論争に深入りせず、ただ淡々と所見を述べるだけですが。

 

 

 

                                  了

 

 

2018年5月

 

代理人によるミュンヒハウゼン症候群

 

代表   舟山 眞人

 

最近、心を悩ます事例がありました。その事例に関連し、過去の症例のことを思い出いながら書いていくうちに、少し字数が多くなりました。ご勘弁ください。

 

過去の症例とはもう20年以上も前のことです。もっとも、その当時、後述します「病態」の知識はなく、ただただ極めて不可解なものと感じておりまた。

 

その症例は立件されていませんので、詳細は述べられませんが、死者は3ヶ月半の乳児です。母親がミルクを飲ませたあと、上の子と一緒に寝、5時間に様子をみると急変していたということです。頬や頭を叩いても反応がないことから救急車を呼びました(顔面にはそれによると申し立てた打撲痕がありました)。病院到着時は心肺停止で蘇生することなく死亡、ただレントゲンで頭に骨折があったことから警察が呼ばれ、解剖となりました。解剖では頭の損傷が死因と判断されましたが、お母さんが言うには上の子がしばしばこの子に”暴行”を加えており、今回もそうではないか、ということでした。

 

この子の死亡前の経過ですが、生後1カ月以降は殆ど病院に入院しています。生後1カ月健診時にお母さんが夜泣きを訴えていましたが、特に異常なしとされています。しかしその2日後に呼吸器感染症で1カ月半入院。退院後1週間で異常呼吸の訴えで1カ月入院。いずれも原因は不明でした。そして死亡は退院後2日目です。解剖では時間の経過した肋骨骨折や古い頭蓋内の出血がありました。しかし、繰り返される上の子の”暴行”ということで、もちろんお母さんに対し強く疑いを持ちましたが、病院からの情報では、お母さんは頻回に病院に来て、子供の心配をしていたということで、その時は上の子は当然、罪に問えないし、しかし不思議なこともあるものだ、という認識でした。

 

 

 

その後、暫くして代理人によるミュンヒハウゼン症候群というものの存在を知りました。ミュンヒハウゼンは実在した人の名で、「ほら吹き男爵の冒険」で一昔の読書好きの子供たちは知っていたかと思います。ミュンヒハウゼン(1720-1790) はドイツ南ハノーバに隠居後、お喋り上手の老男爵として有名となりました。彼の話は、後のR.E.Raspeによる冒険ファンタジーの元になりました。興味のある方は「バロン」という映画(「月の王」にロビンウイリアムスが演じています)をご覧下さい。

 

さて、この疾患を最初に記載した医師は1951年に世界的な有名な医学雑誌Lancet上で彼の名前を借用しました。その記載では「これはほとんどの医師が経験している、どこでもみられるような疾患である。しかしそれについての記述はほとんどない。かのミュンヒハウゼン男爵のように, 常に世界を旅しているようであり、その話はドラマチックで信じがたい・・・」と。

 

これを現代の精神医学では「虚偽性障害」と呼ぶそうです。これをまとめますと

 

1)患者は意図的に身体的障害、あるいは精神的障害の徴候を引き起こし、現病歴や症状を事実とは異なって伝える。

 

 

 

2)目的は唯一、患者の役割を演じること。即ち、入院加療そのものが、第一の目的となり、生活手段となることもある。

 

ということで、詐病とは全く異なることにご注意ください。すなわち、行動の外的動機

 

(経済的利得、法的責任回避など)が欠如している、と言う点です。

 

問題なのは虚偽性障害の患者が、対象を自らではなく、その代役を子供に課すことがあることです。これが代理人による症候群と呼ばれるものです。これに最初に報告したのがイギリスの小児科医 R.Meadowです。彼は4つのポイントを挙げています。

1.両親のどちらか一人あるいはある養育者によって作り上げられた偽りの疾患である。

2.その子供は医療機関にかかることになる。通常は継続的であり、しばしば複数の機関に受診する。

3.加害者はその病気の成因を知らないと言い張る。

4.急性の兆候・症状は加害者が子供から離れたときには生じない。

 

現在ではもっと詳細なクライテリアがありますが、基本的にはこれで十分かと思います。これが危険なのは、養育者がその子の死を意図しなくても、結果的に死が訪れるような作為を子供に行ってしまうことです。

 

私が上述した事例を経験した時代、年配の法医学者でも同疾患の存在を知らない方が多かったではないのでしょうか。マスコミ報道では1998年に薬物や多量の水を母親から飲ませられた子どものケースを報告していますが、これがわが国での最初の報道かどうかは不明です。しかし、過去においても、これによる死亡や未遂例は多々あったのではないかと思います。そして今でも、この範疇にはいると思われる報道が散見されます。

 

お分かりの通り、最初に紹介した事例はまさに代理人によるミュンヒハウゼン症候群でしょう。もし当時、その知識があれば、上の子はどうであったか、次の子を守るためにはどうすべきか、いずれにせよ児相に相談することになったでしょう。とはいえその当時の児相もこの「病態」を知っていたかどうか。そして正しい対応が出来たかどうか。

 

最近、児相から相談を受けた事例がありました。その子には説明困難な損傷がみられましたが、それ以外は家庭的に全く問題がないという話でした。これ以上、親子を離すわけにもいかず、という児相の要求の中で、稀な仮説ではあるが、その損傷が偶然起こり得ることもあろう、という判断を児相にせざるをえませんでした。可能性として代理人によるミュンヒハウゼン症候群はあげられるものの、結局のところ、それ以上の確証も得られなかった、という事例を経験しましたので、今回話題にした次第です。

 

なお、最後に。

 

「代理人によるミュンヒハウゼン症候群」の多くは自らの子を対象にしたものです。ただこの「病態」は医療の現場でも起こり得ること知られています。これまでの論文などからの統計では、保護者の立場の多くは「看護師」、子どもの立場は「患者」が一般的です。

 乳幼児ゆさぶられ症候群(SBS)一考

乳幼児ゆさぶられ症候群(SBS)一考
子ども虐待予防センター仙台 代表
東北大学大学院医学系研究科法医学分野 教授
舟山 眞人

いつものように通り一遍のご挨拶、ではなく、虐待に関する最近の話題について。今回は乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)です。
SBSは1972年に米国の放射線医であるJ Caffeyが児を揺さぶることによって網膜出血、硬膜下血腫、くも膜下出血が生じることがある、と述べた論文に使用された用語です(実際はその前の年にGuthkelchという医師がむち打ち損傷と硬膜下血腫との関連論文を報告しており、こちらが最初の人と紹介されている場合もあります)。ちなみにCaffeyは1946年に成因不明の硬膜下血腫を合併した長管骨骨折を示す小児の6例を発表しましたが、これが小児虐待の最初の臨床症例であると言われています)。乳幼児は首の筋肉の発達が弱く、一方で重い頭のために、強く揺らすことで頭部が前後に大きく可動し、上記の症状が生じる、というものです。わが国でも虐待症の中に、SBSが原因であるとの報道が目に付くようになりました。
私も過去にこのSBS関連で注意を受けたことがあります。学会でオーストラリアに行った際、どこかの動物園で、お金を出せばコアラを抱いてワンショットということで、生きた本体を受け取りました。そのときあやそうと数回軽く上下したところ、管理人のおばさんに「No shaking」と叫ばれました。激しく左右に振った分けではありませんが、子供を揺さぶらないこと、は豪州市民に浸透していたようです。
とはいえ、私の乳幼児剖検例の中で、いままでSBSが原因であると判断したものはありません。網膜出血の確認が難しいということもありますが(角膜は混濁し、瞳孔から網膜は覗けないため、出血の精査は眼球摘出を行う必要がありますが、司法解剖とはいえさすがにそこまでは踏み切れませんでした)、もう一つは頭部を振っただけで死に至るかとなると疑問があったからです。
もちろんその疑問には根拠もあり、米国の有名な監察医であるDiMaioら、がその著書で、1)網膜出血自体は胸部圧迫などでも起こりえること、2)彼らの多数の経験例において全例、頭蓋内出血は頭部への直接外力であったこと、3)剖検では明らかな直接外力の痕跡が、臨床診断では見つからないこともあること、4)実験的にも硬膜下血腫を引き起こすような頭部の加速度・減速度運動量は、揺さぶりだけではエネルギー量として小さいこと、などからSBSによる死亡の信憑性を述べています。
もう30年以上も前ですが、乳児の剖検例で、頭部を含め全身には損傷がないにもかかわらず、硬膜下血腫による死亡を経験しました。もちろん病的なものもありません。これだけですと真っ先にSBSを疑へということになるかもしれません。しかし真実は父親が布団の上に何度か放り投げたということでした。つまり頭部には直接位置エネルギーと運動エネルギーがかかっていたのですが、当たったところが布団なので頭皮・頭皮下・頭蓋には明らかな出血がないのも説明ができます。
現在、このSBSという概念が“揺れて”います。これまでの考え方であればSBSの3徴候、すなわち1)硬膜下血腫、2)網膜出血、3)脳症(び漫性脳損傷や脳浮腫)、があれば、それだけでSBSによる虐待死である、というものでした。ところが最近言われている反論として、先述のDiMaioが述べた様に網膜出血や「薄い」硬膜下血腫は単に脳の低酸素で生じ得ることがあり、この三徴候だけをSBSの根拠にしては行けないという考えです。更にこの問題を混乱させているのが、多くの論文では血腫の成因に関する議論が主で、では実際の死因はなんであるか、がはっきり記述していないことです。3徴候の中で、網膜出血自体は致死的なものではありません。また脳浮腫といっても、小児の脳は柔らかく、形態学的に証明は困難です。その上で「薄い」硬膜下血腫があったとしても、それでは死因とはならず、従って虐待とに因果関係を安易に結ぶことはできないと私は思うのですが、どうも一部の捜査関係者はこのような場合でも養育者を逮捕し起訴しているようですし、当然、法医医師を含めた医療関係者もそれを認めているのでしょう。
一方で、厚い硬膜下血腫が剖検で確認された場合、死因診断はこの異変でよいとして、では果たしてSBSのせいなのか?硬膜下血腫は柔道の稚拙な受け身の際に生じるように、頭部が強い回転/加速・減速運動を行った場合に生じるといわれています。先ほど述べた様に柔らかいものの上に児を放り投げたような場合でも生じますので、必ずしも激しく揺らした結果とは限りません。
問題はお座りで自ら後ろに倒れた場合です。確かに脳の萎縮があるような高齢者や大酒家などでは転倒で致死的硬膜下血を引き起こすことは希ではありません。しかしそういった大人でも座った状態で布団に倒れて致死的な出血を生じるかとなると、考えにくいと言わざるを得ません。しかし絶対にないともいえません。
結局のところ、頭部をどの程度に揺さぶることで致死的な結果になるとの統一見解は医療関係者の間ではでていません。巷ではSBSと死との関係を含め、SBS診断に疑問視する動きがあります。医療関係者以外の人たちも巻き込んだ活動においては、SBSに否定的な論文を引用します。もっともこの傾向は医療関係者でも変わりは無く、SBSの重要性を認める医師達は肯定的な論文を引用します。ということで、このSBS論争に決着がつくのは当面、困難であろうと思います。一法医学者としては、この論争に深入りせず、ただ淡々と所見を述べるだけですが。